【宮沢賢治】
日本文学を代表する彼の作品は少なからず教科書に入っている、
【花と修羅】は自費出版(おとんが支援)で全く売れず、古本屋で二束三文で売られたそうだ。
教科書でお馴染みの【注文の多い料理店】も全く売れず、自身で200冊ほど買い取らなければならなかったそうだ。
賢治の作品は説明に頼らず、
読者の感性に頼ることが多い。
しかしその感性を渡す努力(純度を下げる作業)は楽譜を載せたり様々な工夫をしている。
新聞のように、「情報」を伝える作業と、
芸術として、「感性」を伝える作業。
どちらもこの「人の身体」を理解するには必要な作業で、
前者は「地図」として、
正確なモノサシでなければならない。
後者は「実際に歩く指標」として、
その人ごとに最適解(楽しみ方、寄り添い方)があると思う。
正直、花と修羅を含めて賢治の作品は、
「人の弱さ」
「純粋であるがゆえの歪み」
を隠すことなく描いているので、
今の時代ではコンプライアンスに引っ掛かりまくるのだろう。
そもそも、
文学は「學門」なんて言葉でなく、
人の弱さ、歪みを大いにフォーカスしているものだ。
道徳の対極にある。
だからこそ美しい。
コロナのお陰で、
ワードジャンキー復活。
近代文學のおどおどろしさに、
再びワクワクするとともに、
ZOEとして伝えているのは、
この辺りなんだと再認識しました。
でなければ、
道教、仙道、立禅を真面目な顔で語れません。